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いつもの・・・・

今日は、外出予定で、久々の渋谷。
帰りにおきにいりのcafeで、お茶してかえーろ!なんて思っていたのだけど、
結局前倒しの予定が来て、のんびり出来なそう。

前々から予定していた部署違いの友人とのLunchは、
来週にお預け。
午前より、外出に相成りました。


有楽町付近だったので、
いつもの「無印cafe」で。
今日は、時間も無いのでパンとスムージーのみ。
占いとかでもよく書かれてるけど、
わたしはいつもの店で、いつものものを食べるのがスキらしい。



長いのでたたみます。
以下またもやぐるぐる。



最近(いつも?)悩んでいることは
自分が見えない。
自分ってどんな人なんだろう。
こうだ!と思っていた自分は実は他の人からみたら違った!という
事実を、数日のうちに繰り返してしまった。

ある人から見ればわたしは
「意見のない、自分を押し殺している人」
ある人から見れば、
「我が強すぎで、少し譲る精神を持ったら?」



その相違の、二つについて、すごく悩んだ。
わたしはいったい何なんだろうって。
どれが本当のわたしなんだろう。
本当のわたしは、どこなんだろう。



わたしの言い分的には
意見のない人、と思う人には、以下の行動が当てはまる。
相手が、我が強い人によく当てはまる。
わたしが、例えば今日はカラオケしたいな、とちょっとだけ思ってるとする。
相手はボーリングがすごくしたい!と言った。
じゃあ、ボーリングしようか!ってなる。
けど、相手からしたら、あら、意見がないわね!となるらしい。
わたしのカラオケがしてもいいな、と相手のボーリング、超したいな!が、
どちらが強いかなんて、科学的にも物証が不可能である。
二人で、カラオケ!いや、ボーリング!なんて言いあってても平行線だ。
どちらかが降りるなら、まあ、どちらでもいい、しいて言うならカラオケと思ってる
わたしが折れたらいい、と思ってしまう。
ここは、口に出して言わないし、言うことではない・・・
だから、意見がない、ほんとはカラオケしたいくせに無理して合わせる!と見えてしまうらしい。
でも、いちいち
「わたしのカラオケしたいなは、あなたの超したいからみれば、
そのほんの、5%ほどだから、あなたのボーリングしたいにしましょ」
なんて、変。
向こうからしたら、たとえそうならなくても言って欲しいらしいけど、
たとえそうならないのなら、言ってわずらわしいことはしたくないが、わたし。
しかもたとえわたしはカラオケがしたいかもなんて言った後、逆にあら、じゃあカラオケになんてなった日には、
え、えええほんとに、いやいいよ、わたしのカラオケしたいってのは、ほんとに小指ほどで、
あなたのボーリングがいいと思うってか、そうすべき!と、逆に何が何でもカラオケを阻止。
だって、そこまで言うほどしたい訳じゃないから・・・となるわけだ。
こうなると、相手から、意見がない、さらに無理に合わせてるのWパンチを食らうのだ。
あーあ、めんどくさい。
こうなると触らぬ神になんちゃらになるわけだ。





逆に我が強い人、と思う人には、以下の行動が当てはまる。
わたしは、コレがしたい!と思い込んだら一直線。
猪のごとく突進。
調べ上げ、予算から、日取り、スケジュールまで自分の思い通りに変えてしまう。
相手へのプレゼンも、怠らない。
相手がこうしたいと言ったのもうまく取り入れ、それを実行するために全力疾走なわけだ。
しかし、時には折れて欲しいらしい。
物理的に行く事が不可能な場所で、待ち合わせ!とか、旅先でじゃあ別行動でよくない?なんて
発言を度々してしまう。
相手からしたら、なんてわがまま!となるわけだ。
今日はコレが食べたい!と決めたら、何が何でもそれを食べたいわけだ。
(逆に何でもいいときは上記の性格が出てくる)
それは、コレがしたい!という目的の元に遂行さらる行動なのだ。
いて座特有のハンター気質なので、恋愛にも当てはまる。
この人だ!と思ったら、狙いを定めて一直線。
あの手この手で、GETにても振られるにしても、走りまくり。
時として、ハンターになるのがわたし。




こういう風に書くと、実にめんどくさい人間だなあ・・・・
だから、いざ婚活(話が飛躍したけど)をしようと思っても、
結婚相談所では、きちんとしたイメージがない場合はNGなのだ。
年収いくらとか、職業とか、性格とか、背の高さとか・・・
わたしみたいに、会ってみてのフィーリングなんて言ってる人は、
相談所の人も紹介できないらしい(何かで読んだ)
だから、友人たちも紹介しづらいとか、なんとか。
まあ、これはいいのだけど。



目的を持ったら一直線、それ以外は適当って一番厄介だよね・・・・



ああ・・・
でも、ここに書いたら、そうかそれがわたしだって再確認できた。
なんてことない、悩む必要もない。
わたしは、自分を理解してる。
そらそうだ、27年も付き合ってんだ。
理解してなきゃ困る。



みんなはわたしの一部分だけを切り取りそれで判断している。
もしかしたら、無口なんて思ってた人がたまたま期限悪週間だったなんて事は良くあることだし。
それは、わたしの友人に対する付き合いにも比例して、
人と人が接してるときはある一部分だけなのだ。
だから、その部分だけで判断してしまってはもったいないと、思う。




逆にわたしも、みんなを決め付けてしゃべってしまう事が時々ある。
それは、逆にその一部分だけで見ての判断だから、
長い目で見たらそうではないかもしれない。
人は見かけで判断してはいけないのだ。




なんだか、考えすぎて、頭がポッポしてきたけど、
スムージーはおいしいし(キーンってなったけど)
いつものお店でのんびり出来たし。
まあ、いいか。




こうやって、わたしは毎日を繰り返してる。
いつもの毎日、いつもの電車、いつもの、駅。



日常は、切り取ると劇的だが、
流れていればたいした事がない。
人生も同じだ。
長い目で見れば、切り取った今はモヤモヤしているが、
流れていれば、そんな日々もあったというもんだ。





抜け出せたかな。
ちょっとだけ、抜け出せた。
きっとね。